Twitterやmixiを禁止する学校
「校則ではない」と言うが、文書や口頭注意があるなら、事実上の規則ではないか。そして、それが本当に生徒のためになるのだろうか。
ツイッター、ミクシィ「禁止令」 福岡の高校が事実認める
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100506-00000002-jct-soci
この学校が私は決して特殊な学校だとは思いません。twitterやmixiだったから報じられただけで、これを携帯電話に置き換えたら、学校どころか自治体レベルで携帯禁止条例とも言うべきものを作ろうとしているくらいですから。なので、私はこの学校だけを非難するわけではないです。
でね、冒頭にも書いたけど、禁止という方法が本当に生徒のためになるのでしょうか。
同じようなことを携帯電話の所持についても書いたような覚えがありますが、高校生は学校の規則や親子の間での決まりで保護されていたのに、大学生や働き出したら、いきなり制限がなくなる。
これって、本当に子供のためになりますか?
大学生になったら、あるいは高校を卒業して働き出したら、急に完璧な人間になるのでしょうか?
そんなことはないですよね。30過ぎた私だって、まだまだ未熟で至らない点が多々あるのですから。
そうじゃない子供に、携帯電話にしろ、twitterやmixi等のソーシャルメディアにしろ、習ったり、慣れたりしないで、いきなり荒海に放り投げるようなものですよ。
これって、ものすごくひどい話じゃありませんか?
学校や親が禁止すれば楽なんですよ。禁止さえしておけば、禁止している間は子供が携帯やソーシャルメディアによる被害を受けないで済むのですから。これは大人の都合ですよ。子供のためじゃない。学校は責任を取りたくない、親も面倒なことはしたくない。ただ、それだけ。
泳ぎなら、いきなり荒海に放り投げるのではなく、最初は洗面器に顔をつけて、それから、足が届く程度の浅瀬で泳いで、少し深いところに潜ったり、遠泳をしたり…と、少しずつステップアップしていくでしょ。
携帯電話やソーシャルメディアだってそう。最初はアクセス制限をもっとも厳しくして安全なサイトの範囲で使わせる。少し慣れたら制限を緩和する。その時にやるべきこと、やってはいけないことを教えて、困った時に相談できる大人が近くにいる環境で慣れさせる。そうやって、ステップアップさせるんです。
これを学校教育でやるべきことなのか、家庭内で教育すべきことなのか…という問題はありますが、これが本来じゃないですか。
では、なぜ大人が安易な禁止に走るか。
答えは簡単。自分たちが使いこなせてなくて、教えることができないから。困ったことが発生しても対処できないし、困ったことが発生しそうな兆候を見つけることもできない。
だから、自分たちだけで問題を解決しようとすると、禁止という方法しか取れなかったんです。きっと。
過去にブログでトラブルがあったと言うなら、なぜその時に教員も親も学ばなかったんですか。なぜ、知識を有している人に相談したり、教えを乞おうとしなかったですか。
少なくとも携帯電話については、今、携帯電話各社は児童・生徒向けに出前教育をしたり、小冊子を作って、携帯電話と上手に付き合う方法を教えるように取り組んでいます。
なぜ、mixi社に「生徒に安全に使わせる方法を書いた冊子や資料はないですか?」と働きかけなかったのでしょうか。
繰り返しになりますが、禁止したところで、社会に出たら現代人は、好き・嫌いは別にしてインターネットやソーシャルメディアを使わざるを得ない状況になりつつあります。そして、その世界は実社会の縮図のような場所で、良い人も悪い人もいます。
実社会だって、「変な人にはついていかない」って教えているでしょ? ネットの世界だって、「変な人には関わってはいけない」「電話番号を聞かれてもむやみに教えない」って教えていけばいいんですよ。実社会の縮図に近いんだから。
そういう知識を与えないで、ポンと放り投げるほうが残酷。子供が本当に可愛いなら、被害に遭わないように教えてあげなくちゃいけない。
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現実社会でも最近は、何でも禁止して問題を解決しようとしている傾向が最近強いように思える。
「携帯は危ないから子供に使わせない」
と同じ理屈で、
「バラエティー番組で頭を叩くシーンが子供に悪影響だから、クレームを出して、そういうシーンそのものを無くそうとする。」
のような具合にね。
善だけを教えていれば、悪の被害に遭わない、善悪を見分けられるとでも本気で思っているのでしょうか。
悪いものも見せて、なぜいけないのか、どうしていけないのか、どうするべきなのか…を考えさせるのが教育だと思いますよ。(これはこれで大変だし、成長段階に応じて何を見せるかは餞別しなくてはいけないが。)
善だけしか教えてなかったら、警察官を騙った振り込め詐欺に簡単に騙されますよね。だって、善しか教えていないなら「警察官は市民を守る素晴しい存在でそんな人が悪事をするはずがない。」としか認識できないもの。
悪も教えて、「警察官のフリをしてるかもしれない」「こういう手口があった」って認知できるわけでしょ。
次に、
「包丁は人を殺傷することができる使わせない」
だったら、「何を馬鹿なことを」って思うでしょ?
確かに包丁は間違った使い方をすれば生物を殺傷することができる。でも、正しく使えばおいしい料理を作れる。
だから、正しい使い方を教えるでしょ?
携帯電話やソーシャルメディアだってそう。間違った使い方をすれば、人を傷つけてしまうけど、正しく使えば有益な情報が手に入ったり、新たな友人ができたりする。
現実社会の様々なツールや事象だって、両方の側面を持っているものはたくさんあるはず。
しっかり、子供と対峙しましょうや。そうしないと、可愛い子供が、大きくなった時に苦労するんですから。そんな結末は望んでいないでしょ?だから、逃げちゃいけない。きちんと向き合おう。
この学校の保護者も生徒も教師だけでなく、我々自身も。
それから、気になるのは、生徒たちは、この禁止令をどう思っているんだろう。納得できないルールだったら、生徒会なり何なりを使ってでも、説得して、撤回させるくらいの気概があってもいいと思うんだけどな。(まー、バレないようにやればいいのかもしれないけどさ。)
私の中学時代は校門圧死事件があって、それから、全国的に校則改正(学校によっては撤廃)の流れがあったんですよ。その渦中に生徒会役員をやっていた。
会議を重ねて、不条理なルールについて改正案を作り、説得して自由を勝ち取った。
そのプロセスって、すごく大事な勉強をさせてもらったと思ってますよ。多くの人の意見を聞き、生徒側・教員側双方が納得できるような案を作り上げて合意形成をする。それから、先生に協力してもらって、保護者を説得してもらう。
「自分たちで決めたルールだから、きちんと守る」
「最低限のルールを守れなければ、自由にさせてもらえない。また元の窮屈な規則に戻る。だから、きちんとルールを守ろう。」
そういう雰囲気を醸成していって、規則を緩めても荒れないようにすることだって大事だし、それが自治(自ら統治する)だし、規範意識も育つ。
こうなれば、生徒自身・保護者・教師・地域住民の4方にメリットがありますよ。ガチガチに締めて思考を止めてしまうのではなく、自主自立(自律)を育てるようにしなきゃ。
どうも、私の目には、3者の動きが理解できないんですよ。こんな変なルールを押し付けられて黙っていられる生徒。子供を安易に管理し子供の本当の幸福を考えているとは思えない教員と保護者。
大人なんだから、方法がなくて手も足も出ないなんてね…。わからなければ調べる、誰かの力を借りる、誰かに相談する…色々な方法も、そういう人脈もあるでしょうが。
全く理解できないな…。