ネットで頭がバカになるらしい
またステレオタイプなネット批判だな。俺はこういう問題でいつも言ってるけど、ネットは社会の縮図のような場所。いい点も悪い点もいっぱいある世界。だからこそ、どういうスタンスでネットと向き合うか、ネットに振り回されずにネットを有益に活用するか。そう考えられるかどうか次第だと思う。
だから、学校教育に情報という科目ができた。とある県の教員向けページでは、情報科目を教えるための題材として、ネット上のマナーの問題なんかも教えるようにしているそうだ。
引きこもりや不登校、利己主義なんかネットがなくてもあるだろ。ネットで実生活では知り合うことができない人とコミュニケーションを取るなら、積極的にコミュニケーションを取る人物だろう。ネットだけでしか、コミュニケーションを取れないのは問題だが、そうじゃない人もたくさんいる。ネットの悪い面だけを誇張しているだけに過ぎない。
「ネットがあることで、学ぶ意欲が低下している」
という主張もあるそうだが、それは教員側の問題だってある。
勉強の意義を語れるだけの最も身近な大人である教師と親がいないだけだ。私の時代だって、
「学校の勉強なんか社会に行って役に立たない。」
なんてよく言ってた。でも、実社会に出てみると、学校で習ったことが直接的に役立つ場面は少ないかもしれないが、モノの筋道を立てて考えることは、学校で習ったことと関係もしてくる。
それから、ブログを引き合いに出してくだらないと一蹴しているが、くだらないブログが、遠く離れた友人とのコミュニケーションになっているなら、それは、くだらなくたっていいじゃないか。
私のブログには、駄文もたくさんある。でも、この記事のように、時事を取り上げて思考し、意見を主張するようなものは、「くだらない」の一言で済むだろうか?また、小粒な人間として一蹴できるだろうか。
身近なことにもピントを合わせられるし、広く世の中のことという広い範囲にもピントを合わせられるなら、それは小粒なんかじゃない。
もっと言えば、自分の意見を人に伝達できるように書くということは、文章力の鍛錬にも役立っている。
「想像力」や「妄想力」の欠如を嘆いているが、それをネットのせいにするのも間違っていると思う。テレビや営業の企画が似通っているのは、テレビ業界がチャレンジしなくなった腰抜けになったからだろ。(視聴者が細かなことでテレビ局にクレームを言うのも要因にあるが。)
他には、社会が短期間で結果を求め過ぎているために、チャレンジしにくく、無難な企画を持ってくるようになっているという見方もできる。
何でもネットのせいにして、現実を直視せず逃避していることのほうが問題ではないだろうか。
こういう発言を聞くたびに思うのだが、テレビの人間はネットを脅威に感じていて、それを潰そうとしてネガティブキャンペーンを行っているだけじゃないかと。
テリー伊藤だって、テレビプロデューサーなわけで、テレビが衰退すると商売にならないもんな。あるいは、テレビ業界に対するノスタルジーで衰退を恐がっているだけか。
娯楽の王様が映画からテレビに変わったように、いつか、テレビからネットの時代が来ると思っている。だから、既得権益を守ろうと必死なのではないか。
でも、本当に賢い人間は両方が発展できる方法を模索するなり、発展する業界に鞍替えしているだろう。
「ネットで頭がバカになる!」 テリー伊藤の主張を「否決」
http://news.livedoor.com/article/detail/3546882/