教科書が世の中の全てだったら、どんなに楽だろう

勉強をするのはいいけど、勉強だけが全てではないことをもっと”学ぶ”べきだったのでは?

東大卒25歳男逮捕、ブログに「文科省局長殺す」
http://news.livedoor.com/article/detail/3920446/

この前の元厚労省次官殺害に触発されたような気がするんですよね・・・。何となくだけど。

あれだけメディアが騒げば自己顕示欲の強い人間なら、適当な動機をつけて、それらしい人物を殺傷すれば、ブログや過去の発言などが注目されると考えるからね。

それと、もう一つ気になったのが、記事のこの2箇所。

 前田容疑者は「理想を持って勉強してきたが教科書の内容と違う現実があるのを知り、文科省に詐欺されたと感じた」と供述。殺害予告の動機について「詐欺をされたという感情が高まり危害を加えようと思った。すべて自分1人でやった」と話している。

 前田容疑者のものとみられるブログには、社会や政治への不満が書き込まれていた。「受験においてきちんとまじめに教材を勉強し、大変素晴らしい知識体系を頭に入れてきたのだが、大学入学後、部屋が変わると現実はまったく教科書どおりにはなっておらず、別の糞(くそ)みたいな醜悪な論理で動いていた」との記述も。中には子ども向けとして「おとなはばかだ」などと全編平仮名で書き込んだものもあった。

別に勉強ができる奴の僻み(ひがみ)じゃないけどさ。世の中のありとあらゆることが教科書で表現できたら、本当に世の中はもっと単純で、もった気楽だと思うんだよ。東大で何を勉強したのか知らないけれど、科学技術一つ取ったって、未だに未知の部分がたくさんあって、それを研究者がひたむきに研究しているわけで。もし、世の中の全てを完全に知っていたなら、科学分野のノーベル賞なんて不必要でしょ。

それと、お勉強はできるのかもしれないけど、世の中がどう動いていて、その中でどう生きていくかってことも大事なスキル(能力)だと思うんだよね。

確かに勉強を頑張って、東大という難関大学に入ったのは素晴らしいと思うけど、世の中、それだけが全てではないことを、もっと視野を広くして学ぶべきだったんじゃないかな。

私は大学で勉強したことないけど、大学にいたら、サークルとか、コンパとかそういうこともあったと思うんだよね。最近は、学生も親からの仕送りが少なかったり、就職が大変で遊んでいるヒマがないから、勉強だけになりがちだけど、サークル(遊び)を通じて人と人とのつながりや視野が広がったり、コンパでバカをやってて男同士(女同士)の友情が強まったり。

それが、大学を卒業しても、意外とそういうつながりが人脈になることだってある。

人生なんて、どこで何が災いするかわからないし、何が幸いするかもわからない。だけど、どんな状況でも、生きていくたくましさと賢さが必要なわけで。

働いていたって、政治や社会に不満はあるし、自分の思うとおりに行かないことがたくさんある。でも、人を殺傷しようなんて、どうやったら思えるんだろう。

それこそ、何を専攻したか知らないが、君の大好きな教科書には、

「人を殺したり、傷つけたりしてはいけない」(道徳)

「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」(刑法 第二十六章 殺人の罪 第199条(殺人))

ということを教えているはずだ。

「法学部じゃないから、殺人罪など習っていない」

という、バカな言い訳をするのが無駄に頭のいい奴はしがちだけど、こんなものは日本国内に生きていれば常識で知っていることだから、言い逃れができない。

世の中の奴が東大とか京大とか、そういう難関大学の人を持ち上げすぎだと思うね。有名大学でも、無名の大学でも、高卒でも、実力のある奴が頭角を現すのが社会なんだから。

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