タモリの弔辞、やっぱり白紙
酒を飲んで帰って面倒だったというのは照れ隠しっぽい気もしますが。
でも、弔辞でも、スピーチでも紙に書いたものを読むと決め付けてるのもどうかと思うけどね。
本当に弔意を示す、祝賀の気持ちを伝える、誰かを激励する…と、スピーチの内容、言いたいことが自分の中で整理できていれば、5分だろうと、10分だろうと、原稿が無くても喋ることができる。
むしろ、紙に書いた形式ばったスピーチよりも、自分の溢れんばかりの思いがこもったスピーチのほうが心打たれることがあるのではないか。
かくいう私は学生時代に弁論大会で原稿の主張と正反対のことを演台でペラペラと喋ったことがある。
もちろん、その間、原稿を見ず聴衆を見ながら雄弁に語っていたw
弁論大会の持ち時間は5分だったので、原稿を見ていたのは導入部分の30秒程度だっただろう。
なので、私の経験からも白紙で喋るというのは、案外、やる気になればできるものなのだ。
ついでに、卒業式の送辞もやったのだが、これも原稿は確認する程度で、ほとんど頭の中に入っていたので、これもまた聴衆を見ながら喋っていた。
スピーチで原稿を見てばかりいると、下を常に向いていて、なんとなく自信がなさそうに見える。聴衆を見ながら喋るほうが堂々としていてカッコ良く見えるので、このほうが良いという都合もあった。
特にタモリさんの場合、赤塚先生に対する感謝の気持ちが本当にあったから、あれだけのスピーチを白紙でできたのだと思う。
白紙であるかどうかよりも、溢れんばかりの感謝の気持ちがあったからこそ、タモリさんの弔辞に心打たれたのではないだろうか。
ギャグで約8分赤塚弔辞 タモリが明かす真相
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