地獄絵図の中の光

秋葉原で発生した無差別大量殺傷事件、まだまだ色々な余波がありそうです。

犯行に使われたダガーナイフは、現在の銃刀法では規制対象外。これを規制できるように法令を改正する動きがあります。

その一方で、普通に使われる刃物のイメージダウンを危惧する声もあります。

「ナイフが元凶は心外」 秋葉原殺傷で関の刃物業界が困惑
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080611-00000007-cnc-l21

これは、その通り。ナイフが悪いわけでも、包丁が悪いわけでもありません。正しく使えば、愛情のこもった料理を作り、人を幸せにする道具です。でも、間違った使い方をすれば人を殺傷する。だから、包丁やナイフが悪いわけじゃないです。それは、世間の人も良く知っているでしょう。

サバイバルナイフと言っても、記事にあるように釣りで使ったり、キャンプで使う実用的なものは普通の包丁と感覚的には同じもの。一方で、今回の犯行に使ったダガーナイフは、防衛用の武器です。ドラクエでもダガーナイフって出てきますしね。それに、ダガーナイフは両方が刃になっていて、これで野菜を切るには使いにくい構造。何でも一緒にしちゃいけません。

続いて、報道のあり方に関しての記事も出ています。

マスコミの被害者晒し。そんなに視聴率が大事?
http://news.livedoor.com/article/detail/3678875/

確かに過剰と思われる点も、おかしいと感じる点がありますね。特に、加害者家族にモザイクがかかっていて、被害者家族にはモザイクがないのはどうかと。まー、加害者家族が襲われるという可能性があるからなのかもしれませんがね。

あと、生い立ちやら何やらは、どうでもいいでしょう。その日に「息子とゲームを買いに来て秋葉原に居た」とか、その程度なら、「ああ、幸せな家族が、普通に買い物に来て、理不尽な凶行に巻き込まれたんだな。」と思いますし、本当に伝えたい部分はそこの一点でしょう。逆に人数と事実だけを淡々と伝えられても、世間に何かを訴えかけることは難しいですし。節度を持ってと言うのは簡単ですが、なかなか実践は難しいのかもしれません。

むしろ、生い立ちやら、背景に迫るべきは加害者のほうでしょうね。

さて、そんな惨劇の中、懸命に救護をした人のエピソードも伝わってきました。

[秋葉原殺傷]大丈夫や!…惨劇の中、応急処置 徳島の医師
http://news.livedoor.com/article/detail/3679017/

毎日新聞は、少し前にも犯人を携帯電話で撮影する若者がいたこととともに、懸命に救助をしていた若者という両方を取り上げていました。

確かに、こういうセンセーショナルな事件が起こると、負の側面を大きくクローズアップしがちです。

でも、そのすぐそばには、こうして必死に救護をした人たちがいたことも忘れてはいけません。こうした人たちは、ブログのタイトルに書いた「地獄絵図の中の光」ではないでしょうか。

確かに起きた事件は悲惨でした。原因や背景にも迫っていき、社会の仕組みに問題があるなら見直すことも必要でしょう。でも、その一方で、頑張った人たちも居て、「世の中まだまだ捨てたもんじゃない」という部分もあるはずです。

また、こうした人たちがたくさん居たことが報じられると、被害にあった人の気持ちも変わってくるかもしれません。

誰だって、あんなひどい現場に遭遇すれば、精神が病んでしまうでしょう。

「人が恐い」「そこを歩いている誰かが突然、人を殺していくのではないか。」

と。

でも、救護してくれた一般の人がいたことで、

「世の中悪い人だけではない。」

と思ってくれたら、少しは気持ちが軽くなるのではないでしょうか。

いたずらに社会不安を煽るだけではなく、こうした人たちにもスポットを当てて欲しいと思ったわけで。

そういう意味で、毎日新聞の報道姿勢はもっと評価して良いのではないでしょうか。

ただ、あえてこの記事に一言を言うなら、この部分。

 周囲の店員や通行人らが、負傷者の処置を手伝ってくれた。一方、救助を手伝わないで負傷者をのぞき込んだりするだけの人も。「殴ろうかと思った。最悪です」と憤る。

私が現場に居たらどう行動していただろうか…と考えた時、負傷者の処置を手伝うのは人間として正しいことだと思うけど、あんな凶行を目の前で見た後で、地獄絵図の現場で、恐くて体が動かなくなる人がいても不思議ではないと思う。

心配して、のぞき込んだのかもしれない。でも、体動かなかったのかもしれない。興味本位でのぞき込んだのかもしれない。それは、その行動をした本人じゃないとわからないわけで。

それを、批判しちゃうのってどうかな…と思って。殺傷された人も被害者だけど、現場にいた人も心の傷を受けたかもしれない。そう思うと、その人たちだって被害者の一人じゃないのかな…と思うんだ。だから、安易にこういうことを書いて非難するのは違うんじゃないかと思うんだ。

こういうことを書いて、「他人に無関心な若者」という構図を作りたいのかもしれないけど、もっと事実を冷静に見たほうがいいんじゃないか?

だって、その一方で、懸命に救護していた若者もいたんだから。

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