以前、このブログでも自身のいじめについて、触れたことがあった。

それゆえに、今、放送中で比較的話題になっている、ドラマ・ライフは見れなかった。あまりに陰湿ないじめの描写は、過去を呼び起こすものだから。

たまたま今日、見たのだが、こんな会話があった。ここは、ネタバレになる恐れがあるので、録画で見る人は後で読んで欲しい。

いじめがあったことを母親に話そうとする娘。だけど、いじめの事実は話したが、何があったかは話さなかった。

娘は過去に「学校を休みたい」と言い、母親は「がっかりさせないで」と言う。そこにいじめがあるとは知らなかったから、ついついそんなことを言ったのだろう。だが、それはほんの小さなSOSサインだったのだが。

私の場合、学校内でいじめが明らかになり、教師と加害生徒が家に謝りに来た。

ここで、親にとっては、いじめが明らかになった。
事実を言えない子供の頃の私。
「心配させたくない。」「期待を裏切りたくない。」
この心理が言えなくさせていた。

一方、親は事実を受け入れられずにいた。
母親は泣き、父親は「いじめられるお前にも問題がある。」と言う。

そして、これでますます言えなくなった。
母親が泣いたことで、予想通り心配させたこと。
父親の発言のように、受け入れてもらえず責められてしまったこと。
どちらかと言えば父親の発言のほうがショックだった。

「どうして被害者なのに、一番辛い時なのに、さらに突き落とすの?」
私は、そう感じた。

冷静に考えれば、それも事実なのかもしれない。
私にもいけない点はあったかもしれない。
でも、それを今、このタイミングで言うべきことなの??
あなたは強いかもしれない。でも、私は弱い。ものすごく弱い。
あなたのように淡々と事実を受け入れられない。
こうして、子供の私は、追い詰められていく。内側からも外側からも。

いじめのきっかけはささやかなことだった。
私は、家が辺鄙なところにあって、幼稚園のスクールバスが来れない場所だった。
そのため、幼稚園や保育園に行っていない。
だから、小学校入学の時には誰も知ってる子がいなかった。
子供は残酷で、群れに属していない者を標的にする。
たったそれだけ。
そこに私の落ち度なんて何もない。
ただ、群れから外れているから、獲物にされただけ。
それでも、私は悪いんですか?
だったら、私はどうしていたら良かったんですか?

確かに親も事実を受け入れるのは辛いことだと思う。
ドラマの中でも、母親が苦悩していた。
その一方で、「どうして事実を話してくれないのか?」と悩む場面があった。

でもね、子供はもっと辛いのさ。
大人と違って、世界が狭い。
会社でいじめられたら、別な会社に自分の意思で転職だってできる。
でも、子供は、親の庇護の下にいるから、転校したいと言っても、それらしい理由がなくては転校できない。
ましてや、いじめの舞台は小学校や中学校で、私立小中学校がない地域だから、他の学校に転校するのは、やむを得ない事情がない限りできない。
本当に狭い世界の中で、子供は生きている。耐性もかわし方も知らない子供はダメージをまともに受けてしまう。

どうか、子供と向き合って。まずは聞くことから始めてみませんか?
まともな親なら、子供を自殺で失いたくないでしょうから。
悲劇はきっと、防げるはずだから。

…ドラマを見ていて、そんなことを思いました。

そして、加害者もまた、実は悲しい背景があるんです。

家庭環境が悪くて、寂しさや愛情を感じられずに人を道具として見れないような人間性を持ってしまった。(ライフのいじめの首謀者もこの傾向がありますよね。)

自分がターゲットになるのを避けるために加担してしまった。(これもライフにいますよね。)

来週の予告では、加害者の首謀者の子が学校中から何かを言われているシーンがあります。
きっと、全てが表ざたになって、一斉にみんなが反発したのでしょう。

でも、寄ってたかって土下座を要求するその場面は、いじめと同じ。

確かにこの子がしたことはいけないことです。でも、公開裁判のような真似をするのは行きすぎです。
この子がすべきことは、いじめた相手にしっかりと詫びることだけです。それ以上でもそれ以下でもありません。

この場面、加害者にも被害者にも、ちょっとしたことでなってしまうことを意味しているのではないでしょうか。
人は、誰しも凶暴性を持っていて、それがちょっとしたことで表に出てしまう。群集心理が働くと責任が等分されると錯覚して、残酷なことを平気でできてしまう。

私は、このわずかな場面を見てそう感じました。
自分をしっかり持たないと。何が正しくて、何が間違っているのか。見極める眼を磨かないと、被害者にも加害者にもなってしまうように思えます。