情報洪水とブログとSNSとWiki(ぼやき含む)
ネタ元
DODAの業界レポート
http://doda.jp/e/msn/news/0695.html
このレポートを一言で示すなら「情報洪水」だと思う。
最初のブロックの最後に書いてあるように
「人と組織は、技術イノベーションで生み出される情報量に、ついていけなくなっている。とりわけマネージャーは困難を味わっており、事態はさらに悪化している」
情報がどんどん生成できるようになったために、処理量<生成量となっている。と言える。
身近なパターンだと、cc:で届くメールの多さだろう。
とりあえず、上司には、cc:を入れて、えーっと、この人も関係しそうだから、cc:に入れて…。こんな調子。
届くメールを見ると、異様な数のcc:のあて先だった…なんて笑えないメールもある。
さらに、そのメールに対するリアクションがTo:とCc:のメンバーに一斉送信されて…となれば、頻繁に届き始める。
それだったら、最後のメールだけを見れば、経過がわかるので、それだけ欲しいと思ったことが何度あることやら。
これなら、掲示板でディスカッションするか、ブログでやってくれたほうがいいわけで。
企業内ブログの効用の一つがメール洪水を減らすというものがある。
メールの海というのも情報洪水の一つだろう。
あとは、ファイルサーバーの情報。
これも調べると結構な量だったりする。
ところが、この情報を探すために行っていることは、フォルダによる分類、そのフォルダの命名規則を自分なりに作って管理する程度のことだろう。
私の使用領域で、2GB程度もあったりする。
ネットの世界で、数年前にYahoo!の検索結果の表示が変わったことを覚えているだろうか。
Yahoo!と言えば、ディレクトリ型検索エンジンの代表格だったのだ。
ディレクトリ型とは、先のファイルサーバーの通りで、カテゴリ別に分類して登録する検索エンジンの型だ。以前は、ディレクトリ検索の結果が先に出て、その後にロボット型の検索結果が出た。
ロボット型とはGoogleのようなキーワードに一致したページを探し出す方式のこと。
ところが、今はどうなっているだろうか。ロボット型の検索結果が出て、上のほうに申し訳程度にディレクトリ検索へのリンクがある程度になった。
企業内も、Yahoo!の転換のように、そろそろ検索エンジンを入れるなりする時だと思う。
紙のドキュメントはOCR処理しても誤判別などで、精度は知れているが、最初からデジタルな情報である、WordやExcel、PowerPointなどの情報はヒットしやすいと思う。
次のブロックも面白い。
ナレッジマネジメントが入っていても、結局、大事な情報は個人ベースなのだという。
自分の勤務先も、グループウェアは入っているし、部分的には検索する仕組みも入っている。
一部ではあるが、ブログやSNSも検討されているようである。
…と、他人事のように書いたが実は、私も一枚噛んでいる。ブログやSNS、Web関係は他の人が勉強していない空白領域なので、たまたまインターネットで慣れ親しんでいる私が、少しだけ先に進んでいるので、この関係の話を聞くことがある。
だが、私は、ブログやSNS、Wikiについては、積極推進派ではない。
あえて言うなら、慎重推進派なのである。
なぜか。ブログやSNS、Wikiなどは、いくつかの効用があるといわれる事が多い。
1.コミュニケーション効果
ブログやSNSで、仕事以外の話題も認めてコミュニケーションを円滑にしよう。というもの。
2.メール削減効果
既に述べた通り。メールでのディスカッションがはじまると、そのメールが延々と関係者に届く。だが、最新のものだけあれば履歴がわかるなら、ブログやSNSでやってもらったほうが都合がいい。
3.ナレッジ効果
ブログやSNSに書く作業は、頭の中にある知識(これを暗黙知と言う)を文字や図表などの目に見える知識(これを形式知と言う)に変換される。
さらに、ブログやSNSはテキストデータが主なので、検索性がいいという特性もあり、知識が共有されるナレッジの効果があると言われている。
実は、多彩な効果こそが落とし穴だと思っている。
ナレッジ効果も狙って、メール削減も、えーっと、コミュニケーションも…と欲張るほど、何のシステムなのか一般的なユーザーは理解しにくくなってしまう。
何でも使える道具は、時として、何にも使えない道具になるのはよくある話ではないだろうか。
それだけではない。人と人とが意見を書き合えば、必ずどこかで衝突が発生する。その時に、参加者が(精神的に)大人であれば、それとなく妥協点を見つけあうと思う。
ところが、議論下手な日本人が多いので、意見に反論すると、(人格を否定されたかのごとく)烈火のごとく怒る人がいるのだ。
これが、F2F(Face to Face)のコミュニケーションであれば、相手の表情や言葉の調子という情報で、どこまで言っていいか、誤解を招いていないかを判断できるが、文字と文字の場合は、思っている以上にきつく見えることがある。
こうなると、コミュニケーション活性化どころか、致命的なダメージを与えかねない。
まだまだ課題が多い。システム関係者でさえ、ブログを理解していない人がいそうな状況で、一般ユーザーがブログだのSNSだのと言われたら…拒否反応を示すのではないか。
メールの削減を狙うには、チームやテーマ、プロジェクト単位のブログやSNSコミュニティが必要となるが、メール文化から脱却させるように教育やガイドを示す必要がある。
単純に「システムを導入しました。」「はい。これで、うまくいく。バンザーイ」というものではなく、システムの導入以上に運営方針が大事なんじゃないかと思う。
プログラムであれば、命令を与えればその通りに動くが、システムを利用するのは人間で、それぞれに意思や感情を持つ。だからこそ、不確実な部分が多いわけで、不確実なものを確実にするためには、方針や運用のほうが重大なんじゃないだろうか。
そして、人間心理を考えると、一度、コケたシステムは、二度と使ってくれない。
これらの仕組みが難解で、何の役に立つかわからないようでは、利用者は最初だけ、お達しが出たから使ったが、それ以降は使ってくれなくなる。挽回しようという考えは甘いと思う。挽回する労力は想像以上にかかるものだ。
だから、最初が大事だと思うのだ。
これが、比較的、自分たちの目が届く範囲の人で実験的にスタートするなら、私も懸念はしていない。
だが、対象がどん
な人で、何の目的で、どういうゴールを描いているか。これが具体的じゃないから、余計に慎重意見を述べるのだ。
特に、どういうゴールか。が大事で、具体性を伴っていないと利用者を説得することができない。
説得という表現は、適していないかもしれないが、利用者に新しいことをしてもらうのである。利用者にとって、これは程度はともかく負担だろう。
だが、その負担を負ってでも、メリットが得られるとしたら、利用者は頑張ってくれることだろう。だから、説得なのだ。
ゴールの説明と言えば、こういうことを書く人がいる。
「ナレッジで情報共有されて便利になる。」
利用者がナレッジなんて言われても理解できないし、情報共有の仕方が悪いとメールの例のように情報洪水をもたらす。だから、便利と言われてもピンと来ない。
「ブログで書かれた情報は自動的に日付が入るので、意識をしなくても日付ごとの管理ができるし、検索をかけることで、情報が探しやすくなる。」
のほうが、具体的なイメージを持つことだろう。
目的や手法がわからないのも困る。
「教育にWikiを使いたい。」
こんなことを数件、持ちかけられたのだが、どれも不明瞭なことが多すぎるのだ。本業で相談を受けているなら、下記のように、不明点を相手に聞き、イメージを作り上げていくのだが、本業ではないので、そこまで面倒を見るわけにもいかない。
単に用語集をWikipediaのように作りたいだけなのか、作るなら用語集に掲載する範囲はどの程度なのか、編集できる人は誰なのか、紛争発生時に仲裁役は誰がするのか…。
教材作成に使いたいと言われても、カリキュラムの構成までWikiで議論させるのか、既に教育項目は決まっていて、各項目ごとに参加者で作らせるのか、前者と後者では意味合いが大きく違う。
さらに、教材であれば、項目間で使う言葉が異なっていたり、手順が違っていたり、前の項目を踏まえて新しい項目に進む場合には、項目間の調整も必要になる。誰が調整を取るのか。こうしたことをクリアにしないで、導入すると、参加者が混乱してしまう。
これは、ゴールを具体的に示すということにもつながる。ゴールを具体的に示すということは、ベクトルを揃えるということでもあるのだ。
そして、これらのタイプの人に多いのは、手段が目的になっている人だと思う。
ブログやSNS、Wikiという手段を使って何らかの問題を解決するのが本来だと思うが、いつの間にか、ブログやSNS、Wikiを導入することがゴールになってしまっている傾向があると思う。これらのシステムは所詮、道具なのだ。
で、ネタ元の記事に戻る。
ナレッジマネジメントを入れた企業でも、情報を探し出す労力は、ほとんど変わっていないということが書かれている。
システム(ソフトウェア)が悪いのかもしれないし、システム(運用・運営)が悪いのかもしれない。前者が悪いならば、すぐには改善されないだろう。でも、後者が原因で、導入前なら、よくプランを練り上げれば、効果があがるのかもしれない。そんなことを記事を読んで思ったのだ。