2015年12月の旅まとめ(2日目)
ホテルで朝食を食べて、札幌市営地下鉄東豊線でさっぽろ駅→JR札幌駅へ…と思ったら…。
反対方向に乗ってしまいました。寝不足というか疲れが取れていない感じで、ありえない凡ミス。
で、ふと思ったけど、東豊線って発車の時の音が昔のまんまのブ~って音なんですね。(個人的には映画館の上映開始か…と思ってしまうのですが)
その後、札幌駅で小樽行き快速・エアポートに乗り込むも席が満席で座れず。荷物重いから琴似で下車して、後発の小樽行き普通列車に。結構なタイムロスしたよな…。
ま、なんとか小樽駅に到着。
で、親父に電話すると…。
親父 「病院移ったよ~」
と。で、銭函が最寄り駅ということで、普通列車または札幌以遠快速のいしかりライナー待ち。
その間に、なると屋さんのザンギとかにめしを買いこむの巻。
慌てて食べて、銭函駅に到着。
それから、親父に迎えに来てもらって、結構な時間移動して病院に到着。
母「あれ?本当に来たんだ。父さんが来るって冗談を言ったのかと思ったよ。」
顔色もいいし、こうやって喋られるくらいに回復している。
だが、まだ車いすが欠かせないが、それでも、車いすに乗る時の手助けも少しで済んでいる様子だった。
リハビリの様子も見学させてもらった。
作業療法士さんはテキパキとしていて、親父と私の椅子も用意して、脳出血なこともあり、こまめに血圧を測定して、異変が起きていないかチェックしながら進めている。
車いすは欠かせないとはいえ、一人で乗れるように、立つ訓練をしていたり、一人で衣服を着替えられるように訓練をしている。
その時のアドバイスもわかりやすいのか、母もすぐに姿勢を正しくして、同じことがその場でできるようになる。あとは、これを一晩たっても、二晩たってもできるようになれば、問題なくできる…ということになる。リハビリの際に時々、見学の私達にも現在の状況や、今後、どんなことを考えているか、どこまでを目標にしていくか…という説明もしてくれる。
午前中にやったことが、ちゃんとできていたようで、割とスッと立っていた。少し前までは生きるか、死ぬかの瀬戸際だったのだから、本当に驚くばかりだ。
病院の印象は作業療法士さんの対応も含めて、なかなか良い病院に移ったな…と思う。
「病院を追い出されたのではないか」
という人もいるだろう。でも、病院には急性期を担当する病院もあれば、リハビリや療養を担当する病院もある。生きるか死ぬかの時は急性期の病院だし、今はリハビリに強い病院で焦らずゆっくり進めることが大事なので、状況に合わせた適切な病院に移っただけである。
身体を使うことだけがリハビリではなく、編み物もメニューとしてあった。
作業療法士「編み物もやってもらおうかなと思うんです。病室で退屈するだろうし、こうやって手先を動かすのも良いことですから。」
母「やだ。目疲れるもん。」
おいwwwwwwwwwwwwww
そう言いながら、かぎ針を動かして編んでいく…のだが、途中でほどきはじめてしまった。
作業療法士「何を編むんですか?僕だけにこっそり教えて下さい。」
母「やだ。ないしょ。(と、言いながら舌を出す)」
おいwwwwwwww じゃれてるのかもしれないけど、作業療法士さんに失礼だろwwwwwww
作業療法士「教えてくれたら、編み方の本を用意したりできるんですけど。…じゃあ、コースターとかどうですか。」
私「ああ、コースターいいですねー。大作だと疲れるだろうし。出来上がったらプレゼントしてよ。」
ま、こうすれば私にプレゼントをするという目標ができるから、作業療法士さんも扱いやすくなると思いついたのだw
病室に戻り。
母「(前回、緊急で帰った時に)持ってきてくれたとらやの羊羹、美味しかったよ~」
私「食べたんだ?」
母「うん。病院の看護婦さんたちと一緒に。看護婦さんも『とらやの羊羹食べれた』って喜んでた。うすーく切って少ししか食べられなかったけどね。」
ああ、とことん私の読みは合ってたわけだ。美味しいものって人を元気にするでしょ。これ食べられるようになろうって目標になるでしょ。
この前帰る時も、
「また来るからね」
ってのもそう。まだ次があるって思わせたかったからね。
ま、こんなやり取りをしていたら、入浴の時間ということもあって、親父ともども帰ることにした。
前は帰る時に寂しそうにしていたが、今では「帰っていいよ」と言うくらいになった。これも次が、明日があると思えるからなのだろう。
帰りの車中、親父と話していた。
親父「そうそう。この前、置いて行ったお金だけどさ。あれ、母さんと返そうって言ってるんだよ。」
私「何かと物入りになるから、そのまま持ってて。」
親父「母さんと『一番上(長男)だから、気を使っているのかね…』って。婆さんの葬式の時のお金も全部そのまま残ってるんだ。」
私「ま、とにかく先も長いんだから、取っておいたほうがいい。」
遠くに離れているとできることなんて限られるからね。せめて、オカネーを置いていくくらいしかできないのだよ。
親父「で、今日、どうするんだ?」
私「駅前に宿取っているから。父さん明日仕事で朝早いだろうからね。」
親父「今、仕事行ってないんだ。」
私「え?」
親父「母さんも前みたいに帰るときに寂しそうにしなくなったけど、それでも、来るの待っているみたいだし、喜ぶからね。」
う~ん。確かに気持ちはわかるのだが、先々は長いと思う。自分の老後のことだってあるだろう。
そう考えると、働かないで済む余裕はあまりないと思うのだが。
それに、もっと先を見据えると、あの回復の具合だと自宅に帰ることができる可能性もある。
そうなると、車いすや杖などを使った人が住める住居に変えなくちゃいけない。
段差の解消(バリアフリー化)は当然だが、ベッドの導入(場合によっては昇降やリクライニングも必要)、通路幅員の確保、お風呂改装、トイレの改装(洋式化)、各所に手すりの設置というものがザッと考えられる。
そして、脳出血という事情を考慮すると、家の中で温度ムラを極力作らないようにすることが望ましい。いわゆる、ヒートショックによる血圧の急変動が怖い。
特に、浴室脱衣場、下半身だけではあるがトイレも注意を要すると考える。
こうした改良には、いくら親父がある程度自分でできるとはいえ、やはりコストがかかる。
そういう意味でも色々とかかるんだよな…。
駅について、親父と別れて、ホテルにチェックインする。
部屋のベットで横になると…急に疲れから眠気が。
気づけば、もう夜も深い時間に。
腹が減ったけど、日曜だし夜で店も閉まっているという有様で、コンビニ飯もせめてセイコーマートのホットシェフ…と思ったら24時間営業じゃなかったというw
セブン-イレブンで日高晤郎ショーコラボのJagabeeを買えたのだけが、救いだった。
こうして、2日目は終わった。