講義の板書を写メっちゃうことの是非
なんか、とある番組で講義のスライドをノートを取らないで写メを撮るのがダメとか、どうとかそんな話があったそうで。
結論から書くと、迷惑かけなきゃ好きにすれば?
はい。終了。
これじゃあ、記事にならんわな。
大学の授業って受けたことがないから、よくわからないけどさ。
ノートを取る時間も考えずにハイスピードにパワポのスライドをペラペラめくるような下手くそな先生も居そうだよね。
そういう先生相手なら、むしろ撮っちゃえって思う。
あとは、ノートを取るべき派にありそうな、「書いたほうが覚える」というのは、経験則的にそうだとは思う。でも、覚え方なんて人それぞれだから、写メを眺めて覚える奴もいれば、ノートをゴリゴリ書く奴もいるから、そんなのは個人の自由。流派とか、やり方の問題だから、勝手にすればいい。
唯一の条件として出した迷惑は、写メならシャッター音とか、フラッシュやライトは講義をしている側の人にとってはやりにくいと思う。
無音で、フラッシュなしで、周囲の学生にも迷惑にならなきゃバズーカレンズをつけた一眼レフカメラで1km離れたところから撮影しようが、スマホのアプリで撮ろうがいいんじゃね?って思う。
ノートを取るにしても、写メにしても、それをどう使うかが学生の本当の勝負どころだから、そんな瑣末なところで外野がガーガー言っても仕方ないっしょ…ってのが俺の意見です。
私の高校時代の勉強の仕方は板書は基本的に先生が書いたそのままを書きます。色や線なども、出来る限り再現していました。
これに、先生の発言(特に癖で言う言葉など)の出現回数、アクション(黒板を軽く叩く等)、あとは小ネタ的な話なんかをメモしていましたね。
で、これをどう活用したか。
テスト前になると、一度、学習項目(単元)とそこでの狙い(獲得して欲しい知識)を棚卸しします。
次に板書の内容は再精査します。少し授業が先に進んだことで、何が重要で、何が重要ではないかを見直します。
リアクションや発言の癖情報も、テスト出題の可能性を見極める要素として見ます。
これらを分析して、もう一度、ワープロ打ちでまとめ直します。
テスト勉強はこれで終わり。
過去記事に書いたかもしれないけど、こうして作られたまとめは販売していましたほどですから、まとめ直したものも、情報分析も負けてはいないと思います。
あとは、そのまとめを見返すのと練習問題を解きます。
つまり、私にとっての板書とかノートは、内容を理解することも大事だけど、その時の状況を克明に記録することにも意味があるのです。
現代だったら、恐らく私も写メを撮ったことでしょう。後でまとめ直すので、板書を書き写すことには、あまり意味がないですから。
むしろ、現代だったら、タブレット端末で音声を録音し、写メで板書を記録して、より詳細な癖データを収集して分析したことでしょうね。
もう一度、結論。
- 板書写メ問題は迷惑をかけず、講師が禁止していなければ自由でいいと思う。
- ノートに書こうが写メろうが、その情報をどう活かして勉強するかは自分次第。
以上です。