早生まれとか、高校の頃とか

新入学、新社会人の季節ですね。

この時期になると思うのが、早生まれだということや、高校1年の頃のことを思い出す。

最近では早生まれが遅生まれの人と差が生まれやすい、不利という話が言われていて、実際、早生まれの私はそう思ったことがあった。

私は保育園も幼稚園も行ってないで、いきなり小学校に入ったんだけどね。その理由は、家が同じ市内でも交通の便が悪く、幼稚園バスが走れないということだったんだけどさ。

ずーっと家の中で育っていたこともあるから、図画工作はダメだし、体育は体力差もあって全然ダメだった。

で、自分の中でどう立ち振る舞うかってことを、やっぱり考えるんですよ。小さくてもね。

それで考えついたのは、「ダメなものはあきらめた」ってこと(笑)

というのは、ダメなものを克服しようとしても、やっぱりダメだったから。そのうちにどんどん自信を無くしてね。だったら、得意なものを徹底的に得意にしようと思ったわけ。

これは私の考えであって、ダメなものを克服しようと努力する人も素晴らしいから、その考えを否定するつもりはない。

幸い、勉強は割と普通レベルの成績だったからね。こっちのほうが望みがあると思ったわけだ。

そして、高校生になる。ここでは、成績トップを目指そうと思った。トップは無理でも上位に入る可能性はあると思ったのだ。

なぜなら。高校は入試を経ている。つまり、どの人も同じ程度のレベルということに気づいたから。

さらに1学期は入学式、オリエンテーション、宿泊研修を入学直後にやる学校もある。さらに各授業でも最初の1回目は自己紹介だとか色々あるだろう。

そう考えると、この時期は、試験範囲がものすごく狭い。真面目に勉強していれば誰でも良い点数を取れるのだ。

だが、入試をパスして入学でお祝いされて舞い上がっちゃう奴も必ずいる。こういう人は自滅する。黙っていても成績下位をガッチリと基礎固めしてくれて、それより下に落ちにくくなっている。この人達の屍の上を進めば良い。

ってことで、この時期だけは真面目に勉強した。あとは、不思議なもので、その頃の成績が定位置になる。

「自分はこの程度のものだ。」

と、勝手に諦めて、特に成績中位くらいだと

「悪くもないから、いっか~」

と、思って留まってくれる。

こうして私は成績上位に居座り続けたのでした。めでたしめでたし。

まっ、新高校1年生は、そういう意味で賢そうに見える人が多数居てもビビらずにいることだ。チャンスは今だから、真面目にやっておくことをオススメする。

——

さて、早生まれは不利という話に戻る。

確かに不利だと感じたこともある。でもね、諦めたらゲームはおしまい。必ず勝つ方法はある。

俺の場合は、不得手を捨てて得意を磨いた。トータルで勝てばいいと発想を変えた。

さらに、高校生になった直後にも戦略を立てて、それが当たった。この戦略が外れていても、頑張ったことは良いことだしね。

最近は「早生まれが不利だから、秋と春で分ける」とか色々な話も出ているが、俺は疑問だ。

半分にしても、差は6ヶ月。差は小さくなるけどゼロじゃない。

こういうのを言い出すとキリがないと思っている。

また、学校ってさ、勉強だけじゃないわけだ。集団生活での規律性を身につけたり、仲間を思うことを学ぶのも学校だと思う。(特に初等教育は。)

もし、得意じゃない子が居たら、その子を踏みつけるのではなく、一緒に練習するとか、そういうことを教えるのが学校なわけ。

テストでは結果が出るけど、それ以外は助け合いをすればいい。高校時代は上位にいたけど、テスト対策まとめ集とかは希望者に実費で頒布していたし、テスト前の自習時間には教えることもあった。

出来ない側の気持ちは多少なりともわかるからね。

○○だから不利だとか、自分はそれで損をしているって、不幸合戦とか、できない理由を並べたって何も進歩しないでしょ?

だったら、できるように努力するか、他の方法で戦うか、何とかして競争に勝とうとすることが必要なんじゃないかな…と、最近の早生まれ不利論争を聞いていてそんなことを思うのでした。

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