誰のため、何のための勉強なのか
大学生から小学生まで、レポートや読書感想文をネットで探して、コピペ(コピー&ペースト)病が蔓延していると言う。
確かにインターネットは便利だ。検索すれば自分が欲しい情報にたどり着けるから、レポートや読書感想文も落ちていることだろう。
さらに、ネタ元記事によれば、読書感想文を集めたサイトがあるという。
ただ、ちょっと待って欲しい。確かに宿題・課題は簡単に片付くだろう。でもね、あなたは何のために、誰のために勉強しているんですか?
槍玉に上がっている読書感想文って、読書をすることも目的にあるはず。読書を通じて、感性を磨いたり、想像力をかきたてたり、読解力という基礎力が強化されることがあるだろう。(もっとも小学生にこうした意義まで理解できるとは思わないけどさ。)
ネット時代ではなかったが、私も高校時代には、化学のレポートを参照させてもらったり、ポイントを教えてもらったことはある。でも、やっぱり、ポイントをつかむためなんですよね。丸写しじゃない。
そして、高校時代のレポートは厳格に評価されていた。単にレポートだけをうまく作ってもダメで、レポート提出と同時に口頭試問がある。だから、単にコピペをしても内容を理解していないと、口頭試問を突破できない。
先生もこの辺はよく見抜いていて、コピペの人だと、口頭試問はかなり細かく突っ込んでくる。きちんと見る人が見れば、出典が誰のレポートか把握できているみたいだった。
小学生なら、家で親御さんが、本の内容や感想を話し合ってみるのもいいんじゃないだろうか。口頭試問とは違うけど、それで親子の間の会話が増えれば一石二鳥だと思う。
大学生なら、記事にある発見ソフトの存在で牽制をしてみたり、口頭試問や討論、試験という別な評価方法を検討してみるのもいいんじゃないだろうか。
いずれにしても、根底には、「誰のための、何のための勉強なのか」をきちんと教えて、自覚してもらうことが大事だと思う。これを教えて理解してくれたら、コピペが愚行だとよくわかるはずだ。
それと、大人になってから、要領よく楽している人って苦労するんだよね。知識も能力も磨いていなかったから、就職活動で低レベルぶりが露見したり、就職できても、実務に対応できなかったりするんで。
「使えない人間」という烙印を押されたら、よほどの努力をしないと、周囲は見直してくれない。ひどいと、どんどん転落人生を歩むことになるだろう。
学生時代の苦労はドラクエのレベル上げみたいなもの。今のうちにレベルを上げておいて、社会に出た時にたくさんいるモンスターやボスキャラと戦うために必要なことなんだ。
私のブログは、大学などの教育機関からもアクセスがあるのだが、どうかコピペはしないで欲しい。レポートのための引用なら、一般的に言われる引用のルール(※)に沿って使うのは構わない。できれば、引用で用いたなら、コメントか何かで教えてくれるとうれしい。レポートの役に立ったということがわかれば、私も記事を書く励みになるから。
※一般的に言われる引用のルール
1.引用する必然性があること
自分の考えと対比する等、引用する必然性・妥当性があること。
2.引用は質的・量的にも従であること
自分のオリジナルの文が主(メイン)で、その展開のために引用があるわけだから、当然、従でなければいけない。
3.引用部分を明示すること
どの部分が引用なのか何らかの形で明示すること。オリジナルの文と区別する必要がある。ネットなら、斜体字や色を変える、カギカッコで囲う、引用開始と引用終了を示すなどの方法がある。
4.引用する部分は改変しないこと
部分引用は認められているけど、勝手に引用文を変えてはいけない。例え「てにをは」の誤りがあったとしても。
5.引用した文の出典を明示すること
誰の何という文なのか明示しなくてはいけない。ブログなら、ブログ名やURL・著者、書籍なら、書籍名・著者を示す必要がある。
大学生から小学生まで 「ネットでコピペ病」蔓延
http://news.livedoor.com/article/detail/3737954/