松本人志放言じゃないけど
まー、松本人志の放送室って、こういう感じの物言いだから、発言の真意はメディア報道批判でしょう。前は聞いていたんで、何となくニュアンスはわかるので、報道された時もブログでは取り上げなかったんですが。
さて、こうも続く硫化水素自殺。
時々、どうして自殺はいけないことなのか。って思うんですよ。
いや、大前提として「命は地球より重い」という考えはあります。生きたい人を殺したり、危害を加える行為は容認できません。
だけど、自殺動機の全てが、そんなに批判されるようなものなのかな…と思うわけで。
例えば、私が、もう治る見込みがない病気になったとする。ペインケア(痛みの緩和処置)を受けても、痛くて痛くてたまらない。こんな状況だったら、死にたいって思う人もいると思います。みんながみんな強いわけじゃないから。
確かに家族の方をはじめとする周りの人々は1日でも1秒でも生きていて欲しいと願うことでしょう。私がその立場でもそう願います。
でも、そういう願いのために苦痛が果てしなく続くなら、これって周りのエゴじゃないかとも思うんですよ。冷静に考えるとね。
苦しんで、苦痛で顔が歪んで、死んでいくくらいなら、医療費も抑制されるし、笑顔で眠るように苦しまずに死にたいって思います。何よりも、周りの人がケアするための負担(金銭的にも労力も)もかけてしまう。それだったら、楽に死なせて欲しいって思いますよ。私はね。
今の日本の社会では、安楽死という制度はない。あるとしたら、延命措置の打ち切りですから。
そう考えると、変に周囲の人を危険にさらすような硫化水素が流行るくらいなら、安楽死の制度があったほうがいいんじゃないかって思うんですよ。
ただし、早まって安楽死を選択しないように、理由を聞き、死なずに済む方法があるなら、そっちへ誘導することも仕組みには必要だと思います。
経済困窮、借金が理由の自殺件数は、結構な比率ですから、そういう理由の場合には、生活保護や公的支援制度、借金の場合には、任意整理や破産などの制度があることや、その支援へ誘導することで安楽死を回避する手当ては必要だと思います。
病気・苦痛を理由の場合には、治療の可能性がないのか、痛みを緩和する方法がないのかチェックして、それでも希望するなら安楽死というのもアリでしょう。
精神的な苦痛、精神病、精神症の場合は、まず治療でしょう。それでも、見込みがないとか、強く希望するなら安楽死とか。
精神的な苦しさって、薬で治る部分もあるけど、薬だって万能ではないし、ずっと続くんだよね。投薬治療だって何年もかかると大変だしさ。
ただし、精神だけが病んでて、体は健康体なら、臓器提供意思があるなら、移植に使ってもらって、生きたい人のために役立ててもらうとか。
こんなことを書いてしまったので、批判意見もかなり出そうだけど、苦しみなんて当事者じゃないとわからない。命が大切なのは百も承知してる。でも、その倫理観に縛られた結果、当事者にとって苦しみが延々と続くなら、それはそれで残酷なんじゃないかって思うんだよね。だったら、変な自殺方法で色々な人に迷惑をかけるよりも、安楽死という選択もあっていいんじゃないかって思うわけで。
文中にも書いたけど、安楽死だけじゃなくて、それ以外の方法があることを示し、支援もするという仕組みもないと、人がバンバン死ぬだけの悪い仕組みになっちゃうからね。大事なのは、死という選択でも、それ以外の選択でも苦しみから解放(あるいは緩和)することだと思うので。
こんな制度だったら、自殺という選択をする前のチェック段階で死なずに済む方法へ導けたんじゃないかな…と思ったんですよ。
本当に死のうと思っている奴が、自殺防止用の問い合わせ窓口に行くとは思えないんだよね。自殺って生命体の本能に反する行為で、本能に逆らうのは、ものすごい意思の強さと覚悟が必要だと思うんですよ。そんな人が自殺防止用の問い合わせ窓口になんか行かないと思う。それは、生きたいと思っている人が、まだ正常な判断ができる精神状態の時ならいいと思うんだけど。
だから、逆説的に「安楽死」という言葉を出して、「死にたいならこっちへおいで」としたほうが、集まってくると思う。その上で、「死なずに済む方法」へ導くようにして、それでもダメなら楽に死なせましょうって仕組みなんだよな。俺の素案は。
安楽死って言葉を使って制度って書いたけど、本質は自殺防止なんだよ。捻くれた発想だけどね。