司法の中立性か、民意か

愛知県で8月に起きた、強盗目的で女性を拉致し殺害した事件で、死刑を求める署名が10万名を超えたという。

私も、ブログで命乞いをする被害者を執拗に殴り、殺害した残虐性と、金品強奪を目的とした身勝手な犯罪であることを強く非難した。

だから、この署名をする心情は理解できる。
だが、単に感情的に死刑を求める署名であっていいのだろうか。

今の裁判では、「1人の殺害だと死刑にならない」という暗黙のルールがある。
判例主義、前例主義なのだが、そこに残虐性や、社会に対する影響というものを考慮するように促すのが本来ではないだろうか。

判決は市民活動や世論に動かされるようでは司法の中立性は確保できない。司法は、真実を追究し、そこから判決を出すべきだろう。

しかしながら、このような短絡的な動機で、かつ、残虐な犯罪を抑止するためには、見せしめ効果としての死刑も必要だと思う。

そうしなければ、結局、無期懲役止まりで、20年程度もすれば刑務所を出る可能性が高い。(※これは、出所ではなく、仮出獄。刑期を終えて出たわけではない。)

結局は、やった者勝ちとなってしまい、善良な市民の生命と財産は守りきれなくなってしまう。

社会的なこうした要求という意味で、署名を参考にする必要はあるのかもしれない。
裁判員制度が導入された理由にも、裁判に民間の感覚を取り入れるというものだったはずだ。

司法の独自性・中立性と民意をどのようなさじ加減にするかが問われている。

<愛知女性殺害>死刑求める署名10万人 名地裁へ提出へ
http://news.livedoor.com/article/detail/3330561/

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