YOSAKOIソーラン祭り
私は北海道出身で、YOSAKOIソーラン祭りの存在も知っている。ちょうど今頃が時期だったはずだ。
だが、私は、どーも、この祭り、ピンと来ないのだ。
何となく、怪しい臭いがする。
この祭りが始まった頃は、そんなことはあまり感じなかった。
私の記憶が確かなら(注:決して料理の鉄人ではない)高知のよさこい祭りを見て感動した学生さんが行動を起こして、翌年に10チーム程度で始まった祭りだったと思う。
この頃の印象は、学生さんの若さ(私は当時高校生だったが。)と行動力でできた、手作り、住民参加の祭り。という感じだった。
だが、年々、テレビがだんだんとショーアップし、参加者が地域の人だけでなく、道外の人も増えてきて…あれ?何かおかしいぞ。と、北海道を離れた私は、そう思ってみていた。
たまたまメールをしていた人が「YOSAKOIソーラン祭りなんて嫌い」と書いていたので、ふと思ってこの記事を書いたのである。
このメールの主が嫌いな理由は、これから聞くとして、大規模になった祭りには、色々な人の思惑がうごめいている。
でね、私がちょっと納得できないな…と思うことがあって。
1.やっぱり主役は地域住民であるべきでしょう
なんか、気づいたらプロチームっぽいのがどんどん出てきている。スタートした時って、高知のよさこいを見て感動して、「自分の街にもあったら」が原点だったはず。自分の街にあったらという気持ちは、やっぱり住民が主役ということなんじゃないのかな。と。
2.何で順位がいるの??
これ、祭りだよね?コンテストじゃないよね?順位をつけて、競えば競うほど、どんどんおかしくなると思う。
そのうち、優勝したいために、外国人助っ人でも登場するんじゃないのか?これじゃあ、プロ野球やどこかの駅伝大会みたいになってしまう。そして、「外国人規制」ができて、チームでの人数制限やら、最初の区間は外国人はNGとかさ。(これはどこかの駅伝か。)
別に楽しければいいじゃん。感動できればいいじゃん。そこに順位なんて尺度を出すとおかしくなると思うよ。
コンテストって形態を取るとしたとしても、やっぱり、住民が主役って考えたらさ、仕事の合間や学校の合間で練習してる人たちが優勝できるような程度の競争でなきゃ。今のは、あまりにもガチになりすぎじゃないかい?
と、遠くから見ているのと、私が住んでいた頃の記憶をあわせて、「ちょっと変じゃないの?」って思ったのはこれくらい。
実際に住んでいる人はどう思ってるんだろう。
こんなに競争が激しくなったら、練習場所の確保で小競り合いが起きたり、公園を占拠して子供が遊べなくなったり…という事態が発生してなければいいんだけど。
やっぱり、そこに住む人に愛されなきゃ、こういうイベントって長く続かないと思うんだよね。
メールの主が嫌いな理由がわからないけど、もし、こういう要素やいろんな不満が地域住民にあるなら、早く意見を聞いて、改善できることは改善したほうがいいと思うよ。
せっかく、最初に頑張った学生さんたち(特に肥大化についていけず離脱した人。今も君臨する長谷川はここには含まない。)の気持ちを大事にしてあげたいしさ。
最初に頑張った人たちは、本当に純粋な気持ちではじめたと思うんだよね。
それゆえに行き過ぎた商業化や、それに伴う弊害で、楽しいはずのお祭りが忌み嫌われるなんて、こんな悲しいことはないと思うよ。
だから、すごく心配なんだ。遠くに離れているけど、ふるさとのことってやっぱり気になるからさ。