ゆとり教育見直しへ
ネタ元
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070420-00000083-jij-pol
実にくだらない。
ある時は詰め込みが良くないと言い、今度はゆとりが学力低下につながると言う。
両極端に振り子のように振れている。
そもそも、ゆとり教育は、ゆとりを持って教えるということのはず。
この「ゆとり」の使い方が間違っているのだ。
単に授業時間数を減らして休みの日を増やすのではなく、
1.子供たちに「なぜ?」や「どうして?」を引き出し、学ぶ意欲を引き出すこと
2.実験や実証に時間を割き、単に定理や理論の暗記による勉強ではなく、「どうして」こうなるのか考えさせること
が、ゆとりの正しい使い方じゃないのか?
今、仕事で企業内教育に携わっているが、社外の講師から聞いたことで、非常に印象深いのは、「内的なモチベーションをいかに高めるか」ということが、教育効果をあげるためには重要なのだという。
企業内教育は対象が大人なので、子供の教育と同じではない。でも、内的モチベーションが大事というのは、同じだと思う。
内的モチベーションと書いたけど、興味や関心を持ったことは自ら主体的に勉強する…というように、自分自身から湧き上がる動機のことだ。
思い浮かべてみて欲しい。
自分の趣味に関することなら、色々なことを覚えていると思う。でも、数学が嫌いな人は公式を1つ覚えるだけでも大変だと思う。
私自身の経験だと、理科・科学(化学)が好きになったのは小学校の先生のおかげだ。
きっかけはリトマス試験紙だった。
酸性だと、赤色リトマス試験紙は色は変化せず、青色リトマス試験紙は赤くなる。
これが子供の私には不思議で仕方なかった。
この「なぜ?」が興味になり、好きにつながったのだ。
学校の授業ではなく、クラブという形だったが、紫キャベツから出た液体でも色が変わる。
色がいろいろ変わって面白いな…。たったこれだけのことから興味を持ったのだ。
かくして、中学時代は科学クラブだったし、高校は化学科のある学校に進み、会社もその分野に進む。今は会社の中の情報システム部門にいる。どうして、システムにいるか?これも、ちょっとした「動機」があったからだ。
中学の頃にコンピューターに触れる。BASICの雑誌があって、ソースコードの通り打ち込めばゲームができた。打ち込む作業は大変なので、一人が完成させると他の人にコピーしてあげた。
でも、自分が苦労して打ち込んだゲームなのに、自分がハイスコアを出せないのは悔しかった。
そこで、ファミコンの裏コマンド(例えば、コナミコマンド)のようなものをプログラムの中に仕込めばいいと考えたのだ。
そうすると、ソースコードの中を改造しなければならない。裏コマンドを認識させる条件を書き、その条件に合致したら、いきなりスコアが10億点から始まるとか、キャラクターの数が3が普通なのに300からスタートするとか(笑)
だが、これがプログラムのロジックを学ぶきっかけになったのだ。
こうした欲望が無ければ、ただソースコードを打ち込むだけで、何も学んでなかったと思う。
高校は化学の学科だったので、部活はパソコン関係をやっていた。
そして、会社に就職して、パソコンが得意という理由で、後にシステム部門に異動という経緯がある。
きっかけや動機なんて、些細なものだけど、それが人生に影響を与えることだってあるのだ。
話がゆとり教育から脱線したけど、私の場合は、興味を持たせるような授業をしてくれた恩師のおかげなのだ。
今は理科では実験も少ないし、算数でも単なる公式の詰め込みになっているんじゃないかと思う。
どうして、円周率が3.14なのか?こんなことを教えてくれるのは少ないんじゃないかな。
答えを求めるための公式よりも、どうして、公式が生まれたのか。それを考えさせることが、本当のゆとりじゃないのかな。
子供の頃にこんなことを言った人がいるのではないだろうか。
「三角関数や微分積分なんて、大人になったら使わないじゃないか。なんでこんなの勉強する必要あるんだろう。」
これが、動機を引き起こしていない証拠なのである。内的モチベーションが低いからこういう言葉が出てくると言える。
確かに日常の買い物に三角関数や微分積分なんて出てこないけど、世の中の製品や動きは数学が関わっていることが多い。
電車のブレーキをかけて止まるまでの距離を求めるのにも、積分が出てくる。
数学を引き合いに出したが、化学の勉強が無駄だと言うなら、世の中にプラスチック製品もガソリンも生まれていないかもしれない。
自分の身近な生活には、直接的に必要でないかもしれないが、間接的には恩恵を受けているのだ。
また、10年もすれば、公式を使った計算はできるが文章題には未回答が多いとか言い出して、ゆとり教育にもどっていくのだろう。こうして、フラフラしているうちに他国にどんどん抜かれていく。これがオチなんだろう。と、私は冷めた目で、この問題を眺めている。