母が倒れた
10/24の夜、電話をしない親父から着信履歴と留守番電話のメッセージが。
親父「母が倒れた。意識はなく、長くは持たないかもしれない。」
だが深夜の23時過ぎ。今から本州に住む私が北海道に向かうことはできない。
最悪の状況を覚悟しつつ、慌てて折り返し電話をかける。
親父「危ないかもしれないと思ったが、話しかけると反応するようになった。」
少しホッとする。が、続く言葉に再び不安になる。
親父「脳に出血をしていて、手術もできないと医者に言われた。」
場所が悪く、CTで見てもハッキリわかるくらい脳内出血が起きていたらしい。続けて、
親父「今は落ち着いているから、状況がわかったらまた電話をする。」
私は色々な事態を想定して用意をしはじめた。スーツケースに礼服、ワイシャツ、革靴、黒ネクタイ、数珠を入れる。縁起でもないかもしれないが、現実問題として、飛行機でとんぼ返りを何度も繰り返すとお金も時間もかかる。
ある程度危険な状態が続くことも考えられる。持てる限りの着替えを入れる。こうすれば、病院で付き添うにしても、実家で待機するにしても、どうにかなる。
電話連絡を待ちながら、気づけば午前4時を回る。そして、いつの間にか寝てしまったようだ。
目覚めると、7時半頃。携帯電話には着信履歴はない。状況は変わっていないようだ。
状況は不明であるが、まずは羽田空港に向かうことにした。
そのまま実家へ向かうことも、引き返すこともできるからだ。
羽田空港に着き、親父に電話をする。
私「今、羽田空港にいるけど状況は?」
親父「変わらない。う〜ん、まだ来なくてもいいんじゃないか?」
親父的には死に目に会えるようにということなのだろう。しばし考えて、
私「いや、今からそっちに向かおう。状況が良ければ見舞いということにすればいい。」
実際問題、少し迷ったのは当日、航空券を買うわけで普通運賃または往復運賃またはビジネスきっぷなので、それなりのお値段になる。
だが、その一方で意識がある状況なら、そういう時に顔を見せておけばいいし、何より脳の問題ならば、知ってる人が来る、話しかけることが良い刺激になるかもしれないと考えてのことだ。
こうして、私は出発ロビーでスマホを操作し、航空券を買った。
ふと目の前には、おみやげ店がある。意識不明だった母は、お菓子を食べることは困難だろうが、あえて、お土産を買った。
「元気になったら、美味しいお菓子を食べられる。」
そう思って欲しいからだ。
こうして、私は保安検査場に入っていった。