また社員の不祥事が
このブログで、私の勤める会社の社員不祥事について書くことになるとは。
先日は飲酒運転、今度は千葉県迷惑防止法違反(盗撮)での逮捕。
一体この会社はどうなってるんですかね。
会社の中では、「法令遵守教育」を通年でやっています。会社が製造業ということもあるので安全についての教育もやっているし、警察署の方が年に4回お越しいただいて交通安全教育もやっています。
なのに、こうしたことが相次いでいる。同じ会社にいる人間として、本当に恥ずかしく思っています。
そして、こうしたことを防ぐために
1.個人としてどう考え、どう思い、どう行動するか
2.個人の職務・職責として、何ができるか。
3.自分の職務外だができることがあるか。
と、考えていく必要があると思います。
1.はここまでの記事に書いてあるとおり、同じ会社の人間として恥ずかしく思い、このようなことは断じて許してはいけないと思います。飲酒運転も盗撮もなぜいけないのか考えることですね。言うまでもありませんが、飲酒運転は飲酒により酩酊状態となり危険であること、盗撮はされた人が不快だからですよね。どちらにも共通することは、「被害者が迷惑を蒙る」ことであり、「だから、法令で禁止されている」という当たり前のことなのです。
もっと言えば、「なぜ法令が存在」し、「なぜ法令を守る必要」があるのかを再考して欲しいのです。
法令遵守教育でも、過去に法令が無かった頃の公害被害などを出し、そうした反省や国民保護の観点から法規制が生まれたという記述があります。
近年、企業不祥事があると消費者が厳しく非難します。「非難されるから法令を守る」という考えになっていないかが非常に心配です。どこぞやの大臣が「国民が食の安全にうるさいから」と言ったのと同じ思考回路になっていないでしょうか。
もっと身近な例で言えば、電車で騒ぐ子供に注意をしたら、その親が子供に「あのオジサンに怒られるから、静かにしなさい。」と注意するのと同じです。本来は、「電車と言う公共の場では静かにしなきゃいけないんだよ。」と言うべきです。
法令遵守は大切なことですが、一歩踏み込んで、法令がなぜ生まれ、どうして守る必要があるのかということも考えて欲しいのです。
また、盗撮のような犯罪は相手の女性がされたらどういう気持ちになるかを考えて欲しいです。
確かに目の前に綺麗な女性やかわいい女性がいたら、どんな下着を着ていて、どんな裸なのか想像することは男性なら誰しも一度や二度は考えたことがあるでしょう。私だってあります。これは、本能としては当たり前でしょう。
ですが、人間である以上、理性を持ち合わせていなくてはいけません。その理性が「相手の立場だったらどう思うだろう」という思考です。
法令云々と書きましたが、法令以前に人としてお前は失格!と断罪せざるを得ません。
ましてや、現代社会では多様な性風俗店があり、お金さえあれば、この種の欲望は満たされるのですから。(ただし、公共の列車の中で、いくら金銭による契約があったとしてもやってはいけませんが。これは、公然わいせつです。)
さて、話がだいぶ脱線しましたが、2.についてはかなり制限があってできることが限られていて、何かできることはないと思います。
3.については、有効な手立てが思いつきません。
毎回、飲酒運転などは社内で知らされ、その都度、対策をしていますが、聞いている社員の側の意識が「あー、まただよ。」という感度なのではないでしょうか。
そうすると、単に問題を公表し、締め付けるだけでは効果を上げないように思えます。
だからと言って、どうすれば良いかと聞かれても明確な答えを持ち合わせていません。そして、事実を明らかにして、教育をすることは必要なのです。鉄は熱いうちに叩けと言いますから。
そうすると、もっと根本的な部分に問題があるのではないかと思うのです。
例えば、「目先の仕事をこなせば良い」という風土になっていないか。視野が狭くなって、「仕事さえしていればそれで良い」という感覚になっていないか。と、私は思うのです。
私のように日々、ブログで社会について書いていると、自分の身の回りだけでなく、社会全体だったり、会社全体・事業所全体という視点でモノを見るクセがついています。
どうも身の回りに落とし込んで考えると、「目先の仕事」「自分の仕事」さえしていれば良いという風潮と、それ以外は疎かにして良いという感じに見受けられます。
それがさらに拡大していくと、社会人として当然のように守らなくてはいけない「飲酒運転禁止」や「盗撮はしてはいけない」ということさえも、あっさりと破ってしまうのではないでしょうか。
もし、私の仮定(目先の仕事だけやれば良いという風潮→人として守るべきルールを破る)が正しければ、これからも続々と不祥事が出てくることでしょう。
今は、地域版の小さな記事で会社名つきで報道されていますが、いつか大きな不祥事が起こるのではないかと心配しています。そうならないためにも、内側にいる従業員として、できることを、できる人が、できることをして行かなくてはいけないと考えています。