「入社時から給与に格差を」アホか?

ネタ元
http://www.asahi.com/business/update/0726/TKY200707260448.html

ネタ元を読まない人のために部分的に抜き出すと

学生を成績や論文で評価し、入社から給料に格差をつける仕組みの導入を提案

ということで、さらに、

御手洗会長は、採用の改革について「平等に採用して会社では年功序列。競争の原理からほど遠く、イノベーション(革新)は生まれない。社会正義を平等から公平に変え、それに沿った学校教育、採用試験、給料体系にしないといけない」と呼びかけた。

とも書いてある。

私はこれを強く反対します。

まず、自社の事例を見てみると、東大卒の管理職コースの社員。入社2年目。
確かに口は達者ですが、仕事の手順が全然正しくない。

例えば、私が講師となり、他の人に何かを指導するという企画があった。それをコーディネートするのが、この社員なのだが…。

普通の段取りは、

1.講師のスケジュールを確認(できれば都合の良い日・時間帯をいくつか出してもらう)

2.1.の候補日の中で出席者が他のスケジュールで参加不能になりやすい日がないか確認(例えば組織の中で比較的重要な定例会議がある日を除外など)

3.会場となる会議室などを1.2.の制約条件の中で確保

4.講師に最終確認(省略する場合もある)

5.出席予定者へ連絡

6.当日実施。アンケートなどで講義が有意義なものか判断するなどのフォロー実施、教育記録の記入などの後処理

というのが、常識的な流れだろう。つまり、講師の予定を押さえた上でできるだけ多くの人が参加できるような日を選ぶようにするのが、コーディネートする場合の鉄則。

でも、このバカ社員の場合、

1.会場を確保

2.講師・参加者に一斉に日時を指定したメールを送信

素晴らしい!たった2ステップですよ!

…っておいっ。私は、この日、別の大事な会議で参加できないっつーの。

で、当然、私はメールで「この日は都合が悪い」と連絡すると…。

3.「キャンセルになりました。」という無愛想なメール。決して自分の不手際が原因だったことを説明したり、お詫びすらない。

4.その後、再スケジューリングをするわけでもなく、放置。

さすが、東大出身。社会一般の常識から大きく乖離してます(笑)
※大半の東大出身の人は、正しい手順でやっているはずです。

言いたいことは、どういうことか。

レポートや採用試験というのは、結構、偏差値的に頭がいい人間はうまく通過できるんです。(面接試験はそれだけでは通りませんが、口がうまい奴は意外とごまかしきっちゃいます。)

でも、この事例のように偏差値的に頭は良くても、相手の立場を無視した勝手なスケジューリング、素直に謝らない、挙句の果てには業務放棄とも言える放置をしています。

偏差値的な能力と実務をこなす能力というのは、必ずしもイコールではありません。

最初の記事の話をまともに取れば、偏差値的な能力が高い者は、最初から給料が高く、そうでない者は低くなります。
これは本当に正しいのでしょうか。先の例のように、比較的簡単な日程調整すらできないのに、高給を与えることになりますよ。

また、2つ目の引用も嘘です。
平等に採用するのは当然でしょう。これは、機会の平等です。

でも、年功序列というのは、能力に関わらず年齢で報酬が決まっているのは、結果の平等です。

スタートラインが同じで、そこから努力し、結果を上げた人間には、相応の報酬を与えるというのが、フェアな競争ではないでしょうか。

御手洗会長の言うやり方は、スタートからハンデキャップを与えた競争で、これはフェアじゃありません。

人事制度というのは、どんなに透明な制度であっても、フェアに評価されていないという不満が少なからずあるものなんです。

それが、最初から格差をつければ余計にアンフェアだと思うことでしょう。

もう一度書きますが、機会の平等と結果の平等を混同してはいけません。

私は、本当にフェアに競争をさせるなら、高卒だろうと大卒だろうと、管理職になれる道をつけるなり、入社年齢に関わらず初任給は同じにして、その後の実力で昇給・昇格をする仕組みが過酷だけど、公平で明快な仕組みだと思います。

ただし、成果主義を導入した会社も年功的な部分を入れた制度に戻っている会社があるのも事実です。

成果主義が行き過ぎると、自分の成果として認められる仕事しかしない、足の引っ張り合いになる、組織としての一体感がなくなるなどの弊害が出てきたのも事実ですし、いたずらに競争を煽ることで不安感が増大し、精神疾患による休業と言った問題が出てくるケースもあります。

年功序列は、ある意味、会社で勤めていれば給料が保障されているわけですから、安心感がある一方、ぬるま湯になるデメリットもあるんです。

両者の良い点を取るには、どの程度の配分にするか…というのが、日本に向いた仕組みではないでしょうか。

また、よくある大卒は管理職コース、高卒は現業職コースと最初から振り分け、現業職コースから管理職コースに変わるには選抜試験を受ける…なんて仕組みでしょうね。

でも、大卒でも管理職に向いていない適性の人もいれば、高卒でも管理職に向く適性の人もいます。

学歴でコースをわけるのもフェアではないし、本当に人材を適切に生かしているとは思えません。人材配置は適材適所に行うのが、最も全体に最適になると思うんですが、どうでしょうか。

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