人権という名のエゴ
阪急電鉄の時刻表(駅に掲示している時刻表)の表示が色覚障害者には使いにくいとして人権救済を申し立てたという。
私は、タイトルに書いたとおり、これは人権という名のエゴじゃないかと思う。
色覚障害者が見えにくい色の組み合わせがあるのは事実だし、健常者も障害者もどちらにも快適な環境が理想だと思う。
だけど、人権救済を申し立てるということは、人権侵害されたということで、そこまで大げさにすることか?と思うのだ。
この論法を使うなら、色覚障害者のために、健常者が便利だったものを不便にすることは、健常者にとって人権侵害されたということにもなるのではないのか?
障害者にも健常者にも両方にとって快適な表示が理想だと思う。だから、
「色覚障害があると、この配色では見えにくいので、こういう配色にしてもらえませんか?」
というお願い+提案ならいいと思うんだよ。
でもさ、人権侵害だの人権申し立てだの、やたらと騒ぐとさ、まるで、
「障害者という弱者なんだから、配慮して当たり前だろ。言われなくても配慮しろよカス!」
と言ってるように聴こえるんだよね。だから、拒否反応を示して、こういう記事を書いているわけで。
何でも人権、人権って騒ぐ前に、自分達にとって良い環境にするために提案や改善をお願いするという程度の交渉能力はないんだろうか。
世の中の企業はCSR(企業の社会的責任)活動をしているところも多い。ある程度の規模の会社なら、今や当たり前のようにやっていると言ってもいいだろう。
自分達の事業活動を通じて、社会を良くしていこうと言うのが、CSRの発端なのだから、きちんと何が問題かを指摘すれば、対応してくれると思うんだけどな。
繰り返しになるけど、私は、色覚障害者を犠牲にしろと言っているわけではない。ただ、人権救済という強行的なやり方に違和感を感じているのだ。
「時刻表の色、配慮足りない」色覚障害者が申し立て
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200804110069.html