夢とか目標がないのはいけないのだろうか
昨日、通っているところで、
「現状と目標とのギャップ分析をしてみましょう」
というのがあって思ったのですが、人生というレイヤーだったり、長期の仕事のレイヤーだったり、中期の仕事のレイヤーで目標とか夢を聞かれたり、それを実現するにはどうしたら良いか的な話って出てくると思います。
子供の頃なら、将来の夢とか、将来なりたいものとか。
ああいうの、子供の頃からあんまり持っていないから、いつも聞かれると苦痛に感じていた。
ガキの頃から冷めていて、
「夢なんてどうせ叶うわけがないんだから、持つだけ無駄じゃね?」
って思っていた。みんなが総理大臣になりたいと言っても、日本で総理大臣になれるのは、その時点で1人しかいない。仮に死ぬまでの間としても、何人実現できるのかと考えると、非現実的すぎると感じていた。
その一方で、こうした夢とか目標を持たない…いや、持てない自分は何か人間的に欠落しているのではないかと思うこともあった。
「世間の人は、夢とか目標とかあるのに、私はみんなが当たり前にできていることもできないんだ。」
そして、何か夢を見つけないといけないと焦ることもあった。
仕事とか勉強とか、短期のことは、やらなければいけないことから夢・目標というよりも、計画を引くことはできる。別にそれで十分なのではないかと私は思うのだけど、どうなんだろうか。
夢や目標(=やりたいこと)を見つけられないのなら、反対にやりたくないことを列挙したら、消去法で絞りこめるのではないかと考えたこともある。
夢や目標が偶然の出会いで見つかるのなら、興味がありそうなものを片っ端からやってみるのも方法かなと考えたこともある。
で、思ったのがタイトルの
「夢とか目標がないのはいけないのだろうか」
だ。もちろん、そうしたものがある人はあればいいと思う。こうしたことを時に考えることも必要だと思う。
でも、だからと言って夢や目標がなくても、別にいいんじゃないのかな…とも思う。
恐らく無理をして夢や目標を見つけようとすればするほど見つからなくなるように思った。だから、きっとその日が来ることを静かに待つことにした。そんな、ふんわりゆるゆるな生き方をする人が一人や二人いてもいいんじゃないだろうか。
みんながみんなで目標に向かって一直線じゃなくてもいいじゃないか。目標に一直線じゃない代わりに、いろいろなものを眺めて俯瞰できれば、それもそれで一つの役割なのでは?と感じるのであった。