毎年恒例の24時間テレビ批判を

毎年書いているんだけど、今年も偽善番組が終わったらしいですね。

まー、どこかの記事では「24時間テレビはビジネスだ」と書いているけど、そのとおりだと思いますよ。

ただ、その記事では、ビジネスだっていいじゃないか。という論調だったので、この点は、私はNo.を突きつけますよ。

何が気に入らないかと言えば、出演者全部が

「私は良いことしてますよ」

という顔をしていて、会場に来るタレントは貧乏ったらしく、何かのビンに小銭をたくさん入れて

「募金しました。(私って、健気でいい人でしょ?ね?)」

というのに、イラッとするわけで。

だったら、お前ノーギャラなんだろうな?と確認してやりたくなりますよ。ギャラをたくさんもらっておいて、あんな小銭ごときで誤魔化すんじゃねぇ。と。

まー、タレントそのものはギャラのこととか理解していないのかもしれないけどさ。

結局は、讀賣グループ企業のイメージアップと、そこに広告を出す企業もイメージアップできるという一石二鳥な仕組みなんだよな。

讀賣グループとしては、社会貢献をしていると言えるし、そこに出稿する企業だって、社会貢献活動に貢献している善良な企業というイメージを消費者に与えられるんだから。

—–

で、チャンネルを変えていて、チラッと見たんだけど、某グループが再結成(あっ、バレバレですね)をするとのことで、以前、番組で出会った障害がある子に報告するという"美談"をやってました。

過去の映像では、障害がある子が、声を出すのもやっとで、

「友達になってください。」

と言い、それを快諾するメンバー。実に美しいですね~。これが、本心ならば。

番組を真剣に見てなかったけどさ、その後、この人たちって、この子に手紙を書いたり、電話をしたり、メールをしたり、会いに行ったりしたんだろうか。

もし、カメラが回っていないところでも、こういうことをしていたら、本当に友達になったんだと思うし、本当の美談だと思うけどさ。

きっと、その子は、友達になってくれてうれしかったと思うよ。俺がその立場だったら、やっぱりうれしい。

そして、いつ会いに来てくれるんだろう。いつ手紙をくれるかな。どんなことをしてるかな。って思いますよ。有名人だからじゃなくて、友達だから。

もし、その場の美談を作るために言ったのなら、すごく残酷なことをしてると思うんだよね。

それから何年も経って、今度は復活を報告するという美談のために担ぎ出される。

あくまでも、その後の交流がないという前提だけど、そうだったら、偽善を超えて、愚弄してることになると思うんだよね。純粋な気持ちを踏みにじることになるんだから。

もちろん、私の前提が間違いであるなら、私は非難されていいし、そのほうがいいわけで。

偽善でもお金が集まって、それが人々の役に立つなら、それはそれでもいいじゃないか。って意見もあると思うけど、人の気持ちをもてあそぶ様なことをしていたら、それさえも頷けないよ。

去年も書いたと思うけど、本当に純然たるチャリティーだったら、制作に関わる費用(会場費用、制作会社への支払い、その他)を差し引いた利益もチャリティーにすべきだと思うんだよね。

そうじゃないビジネスなら、ビジネスらしくすべきだと思う。そのほうが見ているほうもスッキリする。

去年も書いたかもしれないけど、ビジネスにするなら、武道館で色々なタレントを呼ぶならプログラムも明らかにして、チケットセンターに委託してコンサートチケットのように販売してしまえばいい。できれば、その収益の一部をチャリティーに回せば、それはそれで理解を得られるだろう。

いっそのこと握手も握手権を1000円程度で発売すればいい。それもタレント3:チャリティー7くらいにすればいい。

それで、徹底的に金を集めて、その収益を困っている人たちに役立てればいい。ただし、チケットにしても、握手権にしても、いくらがチャリティーに回るか明示すべきだと思う。

あとさ、わけのわかんないバラエティーもいいけど、困っている人が、どんなことに困っていて、その背景事情には何があるかをしっかり伝えて欲しいんだよね。

放送局が某ネット企業に買収されそうになった時、報道の使命を理由にしてたけど、まさに、こういうことって報道の使命なんじゃないかな?

障害者問題、世界中にある飢餓、難病に対する公的支援、高齢者福祉などなど色々な問題があるわけでしょ。国内・国外問わずね。

私たちは、あまりにも、これらの問題を知らないんだよ。だから、しっかり取材をして、単に情に訴えかける取材じゃなくて、社会構造の問題や法整備の問題、経済活動の問題とか、そういうことに切り込んで欲しいんだよね。

私たちは、それで知ることができる。知らなければ、変革を起こすことも、何が問題であるかもできないのだから。

これこそ、本当に放送局が言う報道の使命なんじゃないかな。視聴率は取れないと思う。商業的には成立しないと思う。でも、「報道の使命」って、伝えるべきことを伝えるのが「使命」じゃないのかな。

それと同時に、障害者や難病、飢餓、高齢者福祉などに偏見を無くし、みんなが協力し合える社会を作るためにも理解って必要なんだよね。それは、役人や公共機関だけが頑張るのではなく、私たち一人一人の意識を変えることが必要だと思うんだ。

そのためには、知ることはとても大事だと思う。それを広くたくさんの人に伝えられるのは、マスコミくらいだと思う。

善人ごっこではなく、本当に困っている人の役に立って欲しい。私の願いはそれだけだ。ただ、今の番組のあり方を見ていると困っている人を引っ張り出して振り回しているだけにしか見えない。だから、私は批判的になるのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.