長野聖火リレー、誰のためのリレーなのか
長野で聖火リレーが行われている。この記事を書いている時点では、もう少しでゴールというところだ。
聖火が輸送される際にも空港では国賓が来るような警備が行われ、高速道路で輸送中も護衛車両が取り囲むように走るような状態。
こんなに歓迎されず妨害される聖火というのは聞いたことがない。
そして、今日、聖火リレーが行われている。
ランナーの周囲には聖火を護衛する警察官が伴走し、さらにその周囲を左右45名ずつ警察官が伴走して襲撃者に警戒している。
また、ランナーは車道を走るが、歩道との間にはロープやフェンスを用意し、警察官が警備している。
純粋に聖なる炎を、走るランナーを見ようとしている市民は、その姿を、その炎を見ることができない。
こんな聖火リレーに意味はあるのか?
誰のための、何のための聖火リレーなのか?
聖火リレーの正しい意味は知らないが、少なくとも人々の争いのためにあるものではないはずだ。
オリンピックをよく「平和の祭典」と言う。でも、それを主催する国が平和を損なうような人権弾圧を行い、世界中から非難を浴びている。そんな国にオリンピックを主催する資格があるのか?
オリンピックと政治を絡めないで欲しいと中国は言うが、一番政治に利用しているのは中国だろう。また、オリンピックをスポーツと読み替えるならば、サッカーでの日本に対する無礼な態度…いや、野蛮な態度はどうなのか。あれこそ政治を絡めている最たる例ではないか。現行不一致は中国のほうだ。恥を知れと言いたい。