落書き:若者の傲慢さと中途半端の象徴だ

AAA落書き騒動飛び火 ハウス食品が「お詫び」
http://news.livedoor.com/article/detail/3263500/

ネタ元の記事の後半に書かれているこの部分に注目したい。

別の落書き事件で裁判官が激昂、それも余波が

   事件の概要はこうだ。

   大阪・ミナミの繁華街、アメリカ村で07年5月5日、落書きが約80ヶ所で見つかり、防犯カメラに若い3人の男が赤や黒のスプレーで落書きをしている様子が映っていたことから、商店街が情報提供を呼びかけ、警察が捜査していた。その結果、5月10日になって、山田寿彦容疑者(当時23)が「新聞などで大騒ぎになり、怖くなった」として大阪府警南署に出頭、器物損壊の疑いで逮捕された。共犯の2名も5月14日に逮捕され、3人とも起訴された。

   朝日放送(ABC)によると、8月6日に開かれた公判で、被告3人が反省の弁を述べたところ、安永健次裁判官は激昂し、

「落書きを、自分を表現する芸術とでも思っているのか。君たちの 反省なんて、裁判所は、もはや知ったこっちゃない!」

などと述べたという。

   ネット上では、この厳しい態度に賛同する声も少なくなく

「AAAも裁いてください」
「この裁判官にAAAを説教してもらいたい」

といった声も挙がっている。本来AAAはこの事件とは全く関係ないはずだが、思わぬ余波を受けている形だ。

   なお、検察側は、3人の被告に懲役1年6ヶ月を求刑した。

私もこの裁判官の発言は、非常に端的に言い表していると思う。

たとえどんなにきれいに描かれたものであっても、書いた場所が許可を得ていなければ迷惑でしかない。

それを「アート」などと主張するのは、傲慢な思考である。
自己満足というか、オナニーでしかない。
やられたほうは迷惑しているから、犯人を捜し、告訴し、その結果、裁判所で裁かれているのである。

反省しているならば、刑務所で反省していただくのが一番だ。
そして、出所後に本当に反省したかが、問われる。

同じことを繰り返すのか、何もしないのか、落書きはいけないことだということを主張するのか。
反省と言う言葉を安易に使うのではなく、本当の償いとは何なのかをしっかりと考えるべきだ。

この犯人だけではない。街中で奇妙な文字を書いてみたり、電話ボックスなどにアルファベット3文字が書かれたシールを多数貼るなどの行為(いわゆるマーキング)も同じだ。

いわば、犬猫が小便で自分のテリトリーを誇示しているのと同じで、お前らの思考は犬猫並みかと言いたい。

私のようにブログで正々堂々と正当な方法で主義主張をすればいい。
ブログで表現できないなら、キャンバスなり、自分の敷地にコンクリート壁を作って壁画として描き、それをコンテストなどに出品して世の中の人に評価を受けてもらえばいい。

暴走族や街中で喧嘩をする人間もそうだ。
中途半端に自分を誇示するのは同じだ。正当な方法で、レースに出たり、武術の試合をすればいい。

結局、中途半端な人間が中途半端な手段で中途半端に生きているからこうなるのである。
正当な方法で表現をし、評価を受ければ自分の無能さが露呈する。それを恐れていて、その結果に傷つくのを恐れた意気地なしなのだろう。

ちなみに、AAAの件で桜木町の話題が出たが、あれは落書きに困った結果、「だったら、きれいな絵を描いてもらえば、落書きされないだろう。」という発想で、きちんと許可を与えた人が書いたものである。なので、あれは「アート」なのである。

あれと、低レベルで下劣な落書きを混同するなど、言語道断である。

AAAというグループは、程度はともかく、世の中でダンスや音楽と言う形・・・つまり、正当な方法で表現をする表現者なのではないか。

その表現者が、そこいらの中途半端な若造と同じことをしているのだから、程度の低さがよくわかる。

自分のことを「アーティスト」(表現者)であると言うならば、正当な方法で正当な評価を受けるべきである。

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